平成と自分の価値観を作ったと言っても過言ではないHIP HOP
今週のお題「平成を振り返る」
普段はフレブルの思い出や趣味を自由に綴っている私ですが、このお題を聞いてすぐに頭に思い浮かんだのが、
『HIP HOP(ヒップホップ)』
単に音楽ジャンルとか小さな枠では無く、
本来のカルチャーとしてのヒップホップです。
まず先に断っておきますが私は特にそれに携わる様な仕事はしておりません。
ですが、現在までの自分と平成を語る上では絶対に無視できないこの存在。
結論から言うとこのカルチャーに出会った事が私の人生における最大の雷⚡️だったと感じます。
中学生の時、正に落雷の様な衝撃だったのを覚えています。
かつてやっていたテレビ番組
『天才たけしの元気が出るテレビ』の一企画だった
『ダンス甲子園』でまずはダンスの洗礼を受けることに。
今にして思うとまだこの頃は多くの人が探り探りそのカルチャーを根付かせようと模索していた感じで、その解釈にバラつきがあった様に思う。
当時は特にジャンルなどは気にしていなかったけど、その中でも自分の中でこれはカッコいい!と
特に目を惹くダンサーやチームがいた。
当時他のテレビ番組でもZOOが出ていた『DADA』や、MEGAMIXが出ていた『DANCE DANCE DANCE』などあったけどそれも同様に自分の中での感覚や価値観を整理しながら見ていた。
これはあくまでその当時の自分自信の価値観ですが、自分は直輸入が好きだったんだなと気付きました。
アメリカで生まれた文化なんだからそこに日本独自の味付けとか当時は望んでいませんでした。
極力本場に近い空気感を伝えてくれる人達に魅了され、またそれに自分も素人ながら少しでも近付きたいとダンスに明け暮れてました。
そこから踊るための音楽にも当然興味が行くわけで、情報も少ないからジャケ買いか、探してる曲はひどい時はヒアリングで聴き取れたワードを頼りにタイトルを予想して買うという今では絶対にしたくない買い方をしてました😅
奇跡的に当たる時もあれば、当然外れる時の方が割合では多かったですけどそれが逆に狙いの作品より当たる場合も多かった。
後にサンプラーを買ってビートを作ったりしてた時は特にこの時の外れCDやレコードが役立っていた気がします。
ダンス自体を掘り下げて歴史を学んでみたり、
コマ送りでカッコ良く見える手の動きや足の角度とか見たり、どんなスニーカー履いてるかとかその時々でのファッションや音楽にも興味を持ちました。
高校の頃には学校帰りに友人宅でMTVの
『Yo!MTV Raps』でPVを見るのが楽しみだった。
音楽としてのHIP HOPもダークな物からパーティーノリな物、イーストコースト、ウエストコーストなどなどほんとに当時は多数の作品を聞いていました。
RAPやR&Bの曲のサンプリングネタを探して聴くのもかなりハマって同じネタを使っている曲を集めて聴き比べたり。
当時DJしていた友人と片面づつミックステープ作ったりもして、グラフィティーやってた友人がインデックスやジャケット作ってくれたり、ダンスチームのTシャツやCapも作ってくれた。
この段階でダンスから入ったはずのヒップホップがカルチャーとしての広い意味で生活の一部になっていることに気付きました。
これによって得た当時の空気感、友人、価値観は自分にとって今でもかけがえの無いものです。
私が未だに感じるのはヒップホップに対する間違った解釈というか、もう生まれて何年も経つ文化なのにまだうまく伝わってないもどかしさ。
もちろん当時よりは格段に市民権を得ているとは思いますが、それは恐らくリアルタイムで影響を受けた世代がプロデュース側に回ったからでしょう。
『フジヤマ・ハラキリ』もやっと聞かなくなったんだし、RAPの表現でいい加減
『何とかだからYo〜』はどうなのか?
聞いて悲しくなるの私だけじゃないはず。
近年のファッションや音楽含むトレンドにヒップホップの要素を感じない物は無いくらいなのに、
それに気付かず身に着けている人の中にはヒップホップカルチャーそのものは否定とまではいかなくても敬遠している感じを否めない。
その身に着けてる服や着こなしこそ、そのカルチャーからインスパイアされた産物なんじゃないか?と。
良い部分だけを搾取して根本的には距離を置くのはどうなのか。
確かにヒップホップはサンプリングの手法によって他の要素を取り入れ、新しいものを生み出す事が美学の一つだと思うけど、そのサンプリング元へのリスペクトを感じられる作品が殆どという部分での違いは大きいと思います、これは曲を聴けばわかる。
リスペクトしてる作品は絶対にダサい物にはしていない。
これを書いていると政治や世相ともやっぱり密接な関係なんだと感じます。
『HIP HOP』
多分この先『令和』になってもあらゆるジャンルにおいて重要なカルチャーであることは間違いないと思います。
最後に、懐かしのフライヤーが出てきました。
私もこの時初エントリーしましたが、緊張でボロボロでしたね。。
でも当時のダンサーの登竜門の一つ
『AOYAMA NIGHIT』
今見ても名だたる強豪ダンサーが集結してます。
全盛期の95年、良い思い出です。