一度しか行った事のないニューヨークが私に与えた物。
こんにちは。
これは単なる思い出話し。
私自身、若い時ですけど1年以上全く何もしていない時期がありました。
仕事を辞めた後だったんですが、
その頃もまだダンスをやっていて、音楽も聴きまくり、ミックステープや自作のビートを作ったりと、だいぶ深くヒップホップカルチャーにのめり込んでいた頃。
そんな自分にさせたカルチャーが生まれたニューヨークにどうしても行ってみたい!という気持ちが高まっていたのと、ちょうど仲の良かった友人がニューヨークに留学していて遊びに来れば?と言われていたタイミングが重なり一週間という短い時間ではありましたが念願のニューヨークに行く事になりました。
2002年の2月のことです。
2001年の『9.11』からまだ半年も経っていませんでしたが、私の目には既に普段通りの生活を取り戻している人々が多い印象に見えました。
私はこの旅行をするにあたって、事前に英語で使いそうなフレーズを丸暗記するといったことをしてみました。
単純に超心配性なんです😅
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今ならアプリとかポケトークとか便利な物もあるけど、その時は無かったし、一緒に行った友達にいいとこ見せたいという思いもあったと思う。
もちろん推奨されている短めのフレーズばかりなのでたいしたことは言えてないんだけど、
空港からタクシー乗る時とか、その中での運転手さんとの会話とか自分の言葉が確かに通じている嬉しさや高揚感はもしかしたら一瞬ニューヨークに来た!という事すら上回っていたかも知れません。
空港からタクシーで暫くすると遠くの方に夢にまで見たマンハッタンの巨大ビル群。。
『遂に来たんだ・・』
多分、ただならぬ私の感極まり振りが運転手さんにも伝わったんでしょう、
『ようこそ、ニューヨークへ。ありがとな、ニューヨークを好きでいてくれて。』
みたいなことを言ってくれたんです。
いや、あんたこそがニューヨークそのものだよ!
そう思いましたね。映画かよと。
スタートから心を鷲掴みにされた私は友人の住むハーレムの118stへ。
決して当時も治安が凄く悪い地区では無かったと思いますが到着が夜中だった事もあり、
運転手さんに最初住所を伝えたところ、
『本当に友達居るのか?』と確認されましたね😅
確かにその当時、夜中のそのエリアは独特の雰囲気を醸し出してました。
でもそこには私が見たかった、触れたかったニューヨークの姿がありました。
ひと気の無い真夜中の通りは真っ暗で、
デリや数件の飲食店の薄暗い電気が灯っている程度。
友人がアパートの窓から手を振って迎えてくれた。
少し会っていない内にだいぶ雰囲気が変わっている友人。
環境が人を育てると言うがそのスピードが違うように思えた。
部屋に入ると名盤Nasの『Stillmatic』を友人が流した。
まだ到着したばかり。大したものも目にしてないし体験もしていないのに、この空気感だからこの音楽が生まれたんだと即座に感じた。
当たり前なんですが凄くハマるんですヒップホップが。
とりあえずなんか買って久々の再会を祝おうということになったが、なんせ真夜中だし近所で済まそうという事で通りを挟んだすぐ向かいにあった小さい中華系のファーストフード店(なのかな?)に入る。
正直やってるのかやって無いのかわからない薄暗い照明、これから掃除をしたいのか、客に座らせたく無いのかわからないが小さいテーブル上に逆向きに置かれた椅子、鉄格子付きのカウンター越しの注文のやり取り。。
え!?これ映画のセットじゃないよな?
『でも求めてたニューヨークだ。』
内心少しバクバクなくせにそう思ったのを覚えている。
当時まだ喫煙していたのでアパートの真横にあったデリへタバコを買いに。
まずはIDチェックだ。
日本では大抵歳より上に見られていた自分も、
ここアメリカの地ではキッズ扱いらしい。
パスポートの写真を見ながら『Ha Ha Ha! 』と笑いながら店主がタバコを出してくれた。
今はもっとなのかも知れないけど、
当時の価格は日本円にして一箱約800円くらい。
たけぇーよ。。
そして翌日の朝食。
ベタベタに染まりたかった私はホットドッグとコーヒーで。言ってる今も恥ずかしいおのぼりさん。
でも忘れない味。
私がマンハッタンでまず衝撃を受けたのが何よりもビルの異常な高さだろう。
これはニューヨークに初めて行ったらだいたいの人が思うのでは無いでしょうか?
日本の高いビルのそれとはレベルや迫力が違うように思えました。
言い方あれですけど『ここが世界の中心だ!』と
その姿で納得せざるを得ない様な絶対的な存在がそこにはありました。
だから余計にツインタワーが存在する内にニューヨークを訪れる事が出来なかったことを悔やみました。
もちろん跡地にも行き更地となり、建設中の広大な敷地を眺めながらその時にそこで起きた惨事を想像してみるのですが、これはどうしてもリアルに想像する事は出来ませんでした。
周りの景色と起こった事のギャップが大きく現実味が無さ過ぎて。。
この時友人がニューヨークのクラブで知り合ったレスリーという黒人の男性に車で案内してくれるよう頼んでくれていた。
またこのレスリーが超いい奴で。。
なんで見知らぬウチらにここまでしてくれるんだ?
と聞くと、
『コイツ(私の友人)の大切な人達は俺も大切にしたい』と。
言えますか‼︎⁇
しかも端正な顔立ちに綺麗にツイストしたドレッドヘア、似合い過ぎなデニムのセットアップ、オマケになんの香水だよ!ってくらいやたら良い香りまでするもんだから男の我々でも惚れましたよ、ホント。
チャイナタウンで食事したり、当時売れまくっていたミッシー・エリオットを聴きながらブルックリンの方にドライブ行ったり、ヒップホップバイブルと言うべき映画の一つ『WILD STYLE』の撮影地、イーストリバーパークにも行って皆んなで踊ったりもした。
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翌日の晩、一緒に行った友人は昼間の市内観光で力尽き爆睡。
私と現地の友人とでアパートを抜け出しクラブへ潜入。
まずはヒップホップ中心のクラブ。
音楽の楽しみ方、ダンスに国境は無いと改めて感じた瞬間、このままこの時間が終わらないでくれ!と心から思った初めての瞬間かも知れない。
M.O.P.というグループの『Ante Up』という今でも流れると大盛り上がりの曲があるのですが、
テンション最高潮の時に休ませないDJがとどめで差し込んできた。
もうフロアは大パニックだ。。
それぞれ独自の踊り方、楽しみ方、一見めちゃくちゃなんだけど物凄い一体感。。
終わる頃には知らない者同士抱き合ったりハイタッチしたり、お互いのノリの良さを讃え合うという日本でもよく目にする光景だが本場のそれはひと味もふた味も違った。
友人は少し驚いていた。
日本で見てたこれまでの私のイメージと違ったそうだ。
本来の私を見れた気がしたのと現地にここまですんなり溶け込んでいる姿が驚きとともに凄く嬉しかったらしい。
確かに私自身ニューヨークに居た時ずっと夢の中のような不思議な感覚に陥っていた。
もしかしたら前世でニューヨークにいた時があるのではないか?と思うほどに居心地が良かったのです。
その後別のクラブへ行き、そこで知り合った黒人の兄さんとバーに行き、またそのバーで知り合った人達(5人くらいかな?)とその二番目のクラブで知り合った兄さんの友達の家に行き。。
で、ここでちょっとしたトラブルになる。
明らかに様子がおかしいのだ、アパート2階の部屋に案内されるとお前はここ、お前はその辺りに、みたいに座らされた。見ると上半身裸の男と他数名の男達が居る。
バーから一緒に来たキースという男性が
『おい、何かおかしい。すぐに出るぞ!』
掛け声と共に私と友人、キース他3名は階段を駆け下りた。
クラブにいた男は何か大声で叫んでいたが何を言っていたかは分からなかった。
キースが言うには確かじゃ無いが銃のようなものが見えた気がすると言っていた。
クラブの男はノリが良くクラブからバーに向かう道でも私に『オマエ!フィーリングいいな!』とか言ってくれたり意気投合して凄くいい奴だったのに一瞬にして崩れてしまったのは残念でならない。
『度が過ぎた楽しみ方は危険と隣り合わせ』
という良い例だと反省している。
もしあの時私達に万一の事があったら、
ハーレムのアパートに残して来た友人は寝起きに訳わからなかっただろう笑。
ここまででたった2日間の出来事。
細かい会話や出会った人達、得たものなど記載しきれませんが、私はこの時を超える濃密な2日間はこれまでにありません。
今は気付けば1日があっという間に終わっている。
それも淡々とこなしている感じ。
私は自分があまり良く無い状態と思った時に、
自分が一番良かったと思える時を思い出して自分を奮い立たせる事がありますが、それがこのニューヨークでの日々ですね。
今でも友人やレスリー、キース、その時の全ての人達に感謝してます。
※トップの写真は当時ニューヨークで何度も飲んでいた『ブルックリン・ラガー』の栓抜き。
今は日本でもあちこちで飲めるし、
数年前からキリンビールがライセンス契約を結んで製造しているらしい。
もちろんスーパーでも場所によって売ってます。
ニューヨークに行かれる際には是非現地でも飲んで下さい!
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因みにこの『B』のロゴマークは『I ❤︎ NY』と同じミルトン・グレイザーによるもの。