ゴールデンウィーク5日目と令和を迎えて。
こんばんは。
皆様、令和初日いかがお過ごしでしょうか?
私自身の昭和から平成に変わった際の記憶は、
なんとなくニュースで小渕さんが色紙に書かれた『平成』を掲げてたなぁという程度で、
それ以上の何かを感じたとか、それを機に自分が何かを意識したとかは記憶にありません。
今回は、自分自身も共に歳を重ね成長してきた
『平成』という時代が終わるという事で、
平成最後の昨晩は3月くらいに自分が想像していた感じより感慨深いものがあった。
夜が明けてニュースでの天皇陛下の
『剣璽等承継の儀』
『即位後朝見の儀』
ある程度の年齢や経験、知識を重ねた今、
この映像の中で何が起こっているのか?
これから何が始まろうとしているのか?
という自分のフィルターを通してしっかり意識して見てみると、この日本という国の特殊性や皇室とい神聖な存在に改めて気付かされた。
最初に触れたいのですが、私はもしかしたら偏った見方や表現をするかもしれません。
出来る限り最初は物事を真ん中で見るように心掛けているつもりですが、自分の中の解釈や整理とともに考えが偏ります。
偏るというのは正解も不正解も無く、
何通りかの解釈がある中の一つというだけでどれを信じるのも自由。
でもこれからの令和という時代はそういったことがあらゆる場面で試されたり要求されたりする事がこれまで以上に増える気がしています。
今回、私が改めてその存在が気になったのが
『三種の神器』
たぶん『剣璽等承継の儀』を見ていた方は私と同じように気になった方も多いのではないでしょうか?
これは仮に真ん中の目で純粋な子供だったとしての私の意見ですが、こう言うでしょう。
『この三つの物は何処から来たの?』
『何で代々受け継がれてるの?』
『何故箱から出されないの?』
こんなところでしょうか。
でもこれ大人になった今の目でもそう思いませんでしたか?
番組でスタジオに戻り皇室に精通している方がコメントを振られ、
『実物は誰も見た事がない。』
というような事を言っていました。
私は先程偏った見方の話をしましたが、
この事から考える事に個人差はそこまで無いと感じるので書きます。
その理由として思い付くのは大きく分けてこの2つなのではないでしょうか。
1.実際にはそのような物は存在しない。
2.実物は有るが出せない理由がある。
もし私が『平成』を生きて来なかったら、
答えが『1』だった可能性もあるかも知れない。
でもその平成を生きて来て『令和』に切り替わったこの時代の私の答えは『2』以外に無い。
その理由に関しての考え方は枝分かれの様に個人差があると思うし正解はわかりませんが、
これからの『令和』の時代も映画や漫画、アニメ、書籍、個人が発信する情報媒体等、
様々な物が発信するメッセージを読み取っていく大切さを感じました。
正直なところ私自身の思いとしては、
『もう世に出しても良いのでは?どんなに凄いものでも受け入れる準備出来ているから!』
『世の中の人々は、もう色んな物見て、知って、十分免疫出来てるよ!信じてきた歴史がある日ちゃっかり変わっていたり、映画だってもう他に何かあるか?くらいかなりの事を伝えて来てる、それでもやっぱりまだ早いのですか?』
です。
でも、そこまで言っても
『そうです、まだ早いんです。』
が答えだから出ない事も理解してる。
これは何も『三種の神器』の事だけで無く、
世界中に存在する多くの『謎』に共通する。
平成も多くのこれまでの謎が明らかになったりしましたが、テクノロジーの超進化と共にこの令和でも多くの謎が明かされのではないかと今から楽しみです。
ゴールデンウィークの初日〜4日目までの個人的な感想は、連休前に書いたブログと裏腹に東京に人が居ないなぁ。。
え!電車めっちゃ空いてる。でした。
でも、令和初日の今日はこれまでの4日間にはあまり感じられ無かった人混みや町の活気を感じました。
私の行った町も映画館も大混雑!休日を楽しむ笑顔の方が多かったのが印象的でした。
令和に切り替わり、天皇陛下の御言葉にもあった『平和』を改めて意識するきっかけとなる1日だったと思います。
仕事、人間関係、世界情勢とか、
もう小さい世界でのイザコザじゃなくて地球には新たな驚異があるから、せめて同じ星に住む者同士仲良くなれないもんかね?
とか、例え想像の中でもたまに本気で考えてみると私の場合大抵の事柄がどうでも良くなってしまう。
大きな格差があったとしたって星単位で見たら箱は同じ、他の星から見たら大した差じゃない。
こんな文章も昔なら笑われたかも知れないけど、
とにかくそんな考えをまた呼び起こさせてくれた令和初日でした。
久々のブログ、画像も無い中最後までお付き合いありがとうございました。
つい買ってしまったので夜食にコレ食べて寝ます。